History ヒストリー

Join Hearts Together キャメルファームワイナリーの誕生は、
長い時間と様々なご縁が
繋いでくれた「物語」

CHAPTER01 地球にいいことしてる?
地球にいいことしてる?01 地球にいいことしてる?02
地球にいいことしてる?01sp

キャメルファームワイナリーは、キャメル珈琲グループの農業法人として2014年に設立されました。
キャメル珈琲グループは「地球にいいことしてる?」をテーマに、自然や環境を大切に、食を通して、みんなの笑顔を繋いでいきたいという想いで事業を展開しています。
そのテーマのもと、私たちは地球や世の中に対して何かできることはないかと模索し、その中で出会ったのが、タイのコーヒー豆を輸入するプロジェクトでした。

そこは「ゴールデントライアングル」と呼ばれた、かつては麻薬の一大産地。住民たちは、貧困から逃れ生活の糧を得るために、違法と知りながらも麻薬の原料となるケシの栽培に手を染めていました。その住民たちの暮らしを救おうと、タイ王室の財団を中心に設立されたのが「ドイトン開発プロジェクト」。ケシの栽培を止める代わりにコーヒー豆を育て、住民の暮らしを守りながら森林の保護や麻薬撲滅を目指すという取り組みです。そのプロジェクトとコーヒー豆の品質に深く感銘を受け、私たちはそこで生産されたコーヒー豆を輸入し、日本での販売を始めました。

私たちが次に出会ったのは、イタリアのエミリア・ロマーニャ州にあるワイナリーでした。そこでは多くの若者たちが働き汗を流していましたが、彼らに共通するのは、かつて麻薬に手を染めて薬物中毒に陥ってしまったこと。そのような若者たちの技術習得と社会復帰を目的として、1978年にスタートしたのが「サン・パトリニャーノ・プロジェクト」であり、その一環としてワイナリーが営まれていました。そこで生産されるワインの質は非常に高く、私たちは自然な流れでそのワインを輸入することになりましたが、そのプロジェクトのワイン造りを無償で指揮し、技術指導に当たっていたのが醸造家のリカルド・コタレッラ氏でした。

キャメルファームワイナリーは、キャメル珈琲グループの農業法人として2014年に設立されました。
キャメル珈琲グループは「地球にいいことしてる?」をテーマに、自然や環境を大切に、食を通して、みんなの笑顔を繋いでいきたいという想いで事業を展開しています。
そのテーマのもと、私たちは地球や世の中に対して何かできることはないかと模索し、その中で出会ったのが、タイのコーヒー豆を輸入するプロジェクトでした。
そこは「ゴールデントライアングル」と呼ばれた、かつては麻薬の一大産地。住民たちは、貧困から逃れ生活の糧を得るために、違法と知りながらも麻薬の原料となるケシの栽培に手を染めていました。その住民たちの暮らしを救おうと、タイ王室の財団を中心に設立されたのが「ドイトン開発プロジェクト」。ケシの栽培を止める代わりにコーヒー豆を育て、住民の暮らしを守りながら森林の保護や麻薬撲滅を目指すという取り組みです。そのプロジェクトとコーヒー豆の品質に深く感銘を受け、私たちはそこで生産されたコーヒー豆を輸入し、日本での販売を始めました。
私たちが次に出会ったのは、イタリアのエミリア・ロマーニャ州にあるワイナリーでした。そこでは多くの若者たちが働き汗を流していましたが、彼らに共通するのは、かつて麻薬に手を染めて薬物中毒に陥ってしまったこと。そのような若者たちの技術習得と社会復帰を目的として、1978年にスタートしたのが「サン・パトリニャーノ・プロジェクト」であり、その一環としてワイナリーが営まれていました。そこで生産されるワインの質は非常に高く、私たちは自然な流れでそのワインを輸入することになりましたが、そのプロジェクトのワイン造りを無償で指揮し、技術指導に当たっていたのが醸造家のリカルド・コタレッラ氏でした。
CHAPTER02 新たな挑戦の始まり。
新たな挑戦の始まり。01 新たな挑戦の始まり。02
新たな挑戦の始まり。01sp

コタレッラ氏はイタリアワインの近代化や高品質化の立役者にして、現代イタリアを代表するエノロゴ(醸造家)。その彼と日本の農業における若者の離農問題、農家の高齢化など様々な問題や課題を話す中で、日本の農業を元気づけ、グローバルに発信するために、彼は「日本でのワイン造りを手伝わせてくれないか。世界に誇れるワインをきっと造ってみせる」と発しました。私たちの思いに共感した氏の力強い言葉から、キャメルファームワイナリー設立への第一歩が始まったのです。

当初のワイン造りは、日本有数のワイン産地である山梨県から始まりました。そこでは、現地の栽培家やワイナリーの協力を得て試行錯誤する日々。私たちが理想とするワイン造りを模索し、日本全国の畑を探していたとき、北海道の余市でワイン用ぶどうを栽培していた藤本毅氏に出会いました。藤本氏は、余市のワイン用ぶどう栽培の草分けとして知られる名人で、私たちが訪ねたのは折しも後継者を探し始めた頃。藤本氏のぶどう畑を見た瞬間、コタレッラ氏が発した言葉は「この場所なら世界を目指せる!」でした。

新たな挑戦の始まり。02sp 2014年、余市での新たなプロジェクトがスタートし、日本各地のカルディコーヒーファームから志願して来たスタッフが集まり、藤本氏から受け継いだ畑でぶどう栽培が始まりました。
そこでまず目にしたのは、余市でも多くの農家から一目置かれる藤本氏の凄さ。ただの農家ではなく、この地におけるワイン用ぶどうの開拓者であり、さらに経営者の視点を持つビジネスマンでもある彼の技術と知恵は、まさに匠です。その匠のもとで、私たちは北海道ならではのぶどう栽培を学ぶことになりました。

それと並行して進めていたのが、醸造施設の整備や技術の習得。山梨でのワイン造りに携わっていたスタッフは、イタリアのコタレッラ氏のもとでワイン醸造のノウハウを学び、また日本ではコタレッラ氏の助言をもとに醸造所の設計が進められました。2017年、畑に隣接する醸造所が完成し、ぶどうの栽培からワインの醸造までを一貫して行える環境が実現。ゆるぎない情熱と最新の技術を注ぎ、余市のテロワールを最大限に活かした、世界を目指すワイン造りが始まったのです。

コタレッラ氏はイタリアワインの近代化や高品質化の立役者にして、現代イタリアを代表するエノロゴ(醸造家)。その彼と日本の農業における若者の離農問題、農家の高齢化など様々な問題や課題を話す中で、日本の農業を元気づけ、グローバルに発信するために、彼は「日本でのワイン造りを手伝わせてくれないか。世界に誇れるワインをきっと造ってみせる」と発しました。私たちの思いに共感した氏の力強い言葉から、キャメルファームワイナリー設立への第一歩が始まったのです。
当初のワイン造りは、日本有数のワイン産地である山梨県から始まりました。そこでは、現地の栽培家やワイナリーの協力を得て試行錯誤する日々。私たちが理想とするワイン造りを模索し、日本全国の畑を探していたとき、北海道の余市でワイン用ぶどうを栽培していた藤本毅氏に出会いました。藤本氏は、余市のワイン用ぶどうの草分けとして知られる名人で、私たちが訪ねたのは折しも後継者を探し始めた頃。藤本氏のぶどう畑を見た瞬間、コタレッラ氏が発した言葉は「この場所なら世界を目指せる!」でした。
2014年、余市での新たなプロジェクトがスタートし、日本各地のカルディコーヒーファームから志願して来たスタッフが集まり、藤本氏から受け継いだ畑でぶどう栽培が始まりました。そこでまず目にしたのは、余市でも多くの農家から一目置かれる藤本氏の凄さ。ただの農家ではなく、この地におけるワイン用ぶどうの開拓者であり、さらに経営者の視点を持つビジネスマンでもある彼の技術と知恵は、まさに匠です。その匠のもとで、私たちは北海道ならではのぶどう栽培を学ぶことになりました。

それと並行して進めていたのが、醸造施設の整備や技術の習得。山梨でのワイン造りに携わっていたスタッフは、イタリアのコタレッラ氏のもとでワイン醸造のノウハウを学び、また日本ではコタレッラ氏の助言をもとに醸造所の設計が進められました。2017年、畑に隣接する醸造所が完成し、ぶどうの栽培からワインの醸造までを一貫して行える環境が実現。ゆるぎない情熱と最新の技術を注ぎ、余市のテロワールを最大限に活かした、世界を目指すワイン造りが始まったのです。
CHAPTER03 世界へ、思いを繋ぐ。
世界へ、思いを繋ぐ01
世界へ、思いを繋ぐ01sp

キャメルファームワイナリーは、ここに至るまでさまざまな人たちの思いを受け継いでスタートしました。
1980年代から余市でワイン用ぶどうを作ってきた藤本毅氏からは、技術と知恵を。世界的に著名な醸造家リカルド・コタレッラ氏からは、イタリアの伝統的製法と最新技術を。その思いを繋ぎ、ワインという形に造り上げるのがキャメルファームワイナリーの使命です。私たちの手で、北海道余市のワイナリーから世界へ。この地で造り出したワインを日本中の、そして世界中のワインファンに届けることで、これまで関わってきたすべての人の思いを繋いでいきたいと思っています。

キャメルファームワイナリーは、ここに至るまでさまざまな人たちの思いを受け継いでスタートしました。
1980年代から余市でワイン用ぶどうを作ってきた藤本毅氏からは、技術と知恵を。世界的に著名な醸造家リカルド・コタレッラ氏からは、イタリアの伝統的製法と最新技術を。その思いを繋ぎ、ワインという形に造り上げるのがキャメルファームワイナリーの使命です。私たちの手で、北海道余市のワイナリーから世界へ。この地で造り出したワインを日本中の、そして世界中のワインファンに届けることで、これまで関わってきたすべての人の思いを繋いでいきたいと思っています。
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